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北京五輪 個人的に泣けた場面ベスト3 

タイトル通り、今回の北京オリンピックで個人的に泣けた名場面ベスト3を勝手に発表します。


まずは第三位!
北島康介選手
競泳男子二百メートル平泳ぎ
レース後のインタビュー

百メートル平泳ぎのレース後のインタビューでは平然とした表情でインタビューを受けていたので、あの男泣きにはグッときてしまいました。
やはり前回のアテネオリンピックから浮き沈みがあって、私のような凡人には計り知れない程の苦労があったんでしょうね。
ただただ尊敬です。
今後の動向も気になりますが、とりあえずお疲れ様でした。
続きはまた次回。


北島去就に揺れる思い現役続行も選択肢
 2大会連続平泳ぎ2冠の北島康介(25=日本コカ・コーラ)が26日、自らの去就について揺れる心境を吐露した。五輪3大会で金4個を含む6個のメダルを獲得し、北京五輪後には引退をほのめかす発言もあった。解団式出席後は「引退、引退と言われてますけど、戻りたい気持ちはある。続けることも考えています」と現役続行の選択肢が残されていることを明かした。
 しばらくは興奮を味わった北京五輪の余韻に浸り、応援してくれた国民への恩返しを意識している。今月29日にはジュニア五輪の表彰式に出席予定。9月からは全国の小学校を1日教師として巡回する見通しで、子供たちとの触れ合いの場を数多く設ける。「(五輪前後の周囲は)大人ばっかりだったし、子供たちに元気をもらえば。年内はいろいろな活動をして視野を広げていければいい」と今年中は結論を出さない意向を示した。
 現時点で4年後のロンドン五輪は考えていない。ただ、「4年に1度のサイクルを変えたいし、それに縛られるのはいけない。1年ごとに大会はあるから」と説明。現役続行か、それとも引退か-。時間をかけて揺れる気持ちを整理する。

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体操で遊んでいる 

内村航平選手が体操個人総合で銀メダル獲得!
今回の体操陣は男子団体の銀メダルに続く2つめ。
女子の団体5位入賞といい、すごいですね!
内村選手は10代の若さ、国際大会の経験も少ない中で強心臓ぶりを見せつけました。
途中、あん馬で2度の失敗をはね除けてのメダル獲得は圧巻です!
今後にも期待ですね!


内村が「銀」! 冨田は4位 体操男子個人総合

 体操男子個人総合決勝が14日、国家体育館で行われ、内村航平(日体大)が91・975点で2位となり、銀メダルを獲得した。内村は2種目を終えた時点で22位と大きく後退したが、中盤以降に本来の動きを取り戻した。富田洋之(セントラルスポーツ)は4位だった。
 今大会の体操でのメダル獲得は、男子団体の銀メダルに次いで2個目。
 内村は1種目目の床で無難な滑り出しを見せたが、2回落下した2種目目のあん馬で13点台にとどまって22位となり、厳しい展開となった。だが、4種目目の跳馬で16・300点、5種目目の平行棒で15・975点の高得点を連続して出し、5種目目を終えた時点で4位まで浮上した。最終種目の鉄棒では、コールマンなどの大技を確実に決め、メダルをたぐり寄せた。
 冨田洋之も3種目目の吊り輪の着地で大きくバランスを崩して転倒したが、5種目目の平行棒で16・000点を出して追い上げ、最終演技の鉄棒でも着地をしっかり決めた。
 決勝は6種目の合計点で争われた。出場者は1つの国・地域で2人までと決まっている。エース・冨田は予選で日本の3番手となる6位だったが、実績などを考慮し、5位の坂本功貴(順天堂大)に代わって出場することになった。内村は予選4位だった。

泳ぐのは僕だ 是我在遊泳 

北島康介選手2冠達成おめでとうございます!
今日は朝起きたら暑くて鼻血が出ました!
そのまま北島選手のレースで興奮!
鼻血が止まりません。。。ちょーきもちいい!(嘘)
世界新記録は出ませんでしたが、オリンピック新記録で優勝はさすがですね。
やっぱり男ですね。かっこい~!


五輪競泳 北島連続2冠 王者「最強」を証明

王者は裏切らなかった。14日、競泳男子二百メートル平泳ぎに出場した北島康介選手(25)が、百メートルに続いて二つ目の金メダルを獲得した。世界新は逃したものの、ライバルに格の違いを見せつけた。「この喜びをみなさんと分かち合いたい」。涙もない、雄たけびもない、静かな勝利。アテネ後の4年間、不振にも泣いた。「もう1回この場所に戻ってこられるとは思わなかった」。そう万感を込めた。
 タオルでスタート台を丁寧にふく。プールに身を乗り出すようにして右腕を伸ばし、指先で水面に触れる。この日も、まるで身を清めるかのように、その指をなめてから、北島選手はスタートに備えた。
 飛び込んでから、最後までライバルたちを引き離した。ゴールの直後、右手で大きくガッツポーズしたが、記録表示を見て、首を小さくかしげた。世界新という真の敵に敗れたことが悔しかったのか……。
 出会ったころは一流どころか「四流」だった。元日本水泳連盟競泳委員の河合正治さん(63)が、初めて北島選手を見たのは11年前のことだ。北島選手が通っていたスイミングスクールに依頼され、中学3年だった北島選手の泳ぎを水中で撮影したビデオを詳細に分析した。中学生の全国大会で百メートルと二百メートルを制したとはいえ、とても世界に挑戦できるタイムではなかった。
 「平泳ぎなんかやめたらどうだ」。河合さんは初対面の少年を冷たく突き放す一方で、世界トップクラスの選手たちの泳ぎの特徴を説明し、深すぎて水の抵抗が大きいキックの仕方を変えるよう助言した。北島選手は、モニターに映る自分の泳ぎに食い入るように見入っていた。
 1年後。再会した北島選手は、百メートルで約2.5秒、二百メートルでは5秒以上もタイムを縮めていた。再び水中映像を見た河合さんは驚いた。引き足が浅くなり、別人のようなキックになっていたからだ。北島選手は1年前の助言を忘れず、自分で考えながら足の運びを工夫していた。
 「康介ほど上を目指す思いが強く、自分で考える選手は日本にはいない」と河合さんは言う。高校3年で百メートルの日本記録を塗り替え、00年シドニー五輪の出場権を獲得すると、北島選手はすぐに世界記録を狙い始めた。日本新も五輪も、一つのステップと考えているようだった。
 今年6月の競泳ジャパンオープン。プールに現れた北島選手のTシャツには、こう書かれていた。「泳ぐのは僕だ 是我在遊泳」。英国メーカー製高速水着「レーザー・レーサー」の着用を巡って競泳界が揺れる最中の大会だった。
 数日後、自身の公式ホームページにメッセージを寄せた。「水着は大切ですが、泳ぐのは選手です。北京で世界の代表と勝負して結果を出したい」
 母に連れられてスイミングクラブに通い始めたのは、ちょうど20年前。進化を続けてきた北島選手は、自らの泳ぎで自身が最強であることを証明してみせた。
 「優勝できたことに感謝します」。レース後のインタビューでは、上気することもなく、落ち着いた表情でそう言い、王者はプールを後にした。
 ◇泳ぎの技術完ぺき
 72年ミュンヘン五輪で百メートル平泳ぎで金、二百メートルで銅を取った田口信教・鹿屋体育大教授(コーチング学)は、北島選手の2種目2連覇について、次のように語った。
 水泳というのはいわば無差別級の世界。1メートル90センチ前後の選手たちの中で、1メートル78センチの彼が勝つこと自体すごいことだ。
 しかも、平泳ぎ二百メートルの運動量は百メートルの5倍と言われ、陸上なら短距離と長距離の違いがある。後者は無酸素持久力の勝負となるが、前者はいかに酸素を体内にうまく取り込むかがカギ。両方で勝つのは難しい。
 すべては彼の泳ぎの技術に尽きる。口で言うのは易しいが、誰も真似できないほどの完ぺきさでやり切る。
 2連覇はまさにプロの仕事だ。プロフェッショナルは、人びとの期待を絶対に裏切らない、ということ。僕らの時代のアマチュアリズムとは違う精神を感じる。僕は百メートルで金を取り、ホッとして気持ちが緩んだ。彼も二百メートル予選6位の時、ヒヤッとしたはずだ。そうした気持ちをすぐに立て直すプロの精神に敬意を表したい。

男として悔しい 

太田選手 銀メダルおめでとうございます!
フェンシングやってる人なんて周りにいないし、テレビでもなかなかやらないんで、ルールーもよくわかってないんですけど、とにかく速い!
剣と身体に付けたセンサーみたいのが反応して判定するんですね。
競技自体は歴史を感じるけど、結構ハイテク。
そんな歴史的な競技に残した歴史的な一歩。
それなのに「金メダルを狙っていたので、男として悔しい」とは、かっこい~!
太田選手は今春に大学を卒業してからも就職せずに競技に集中していて、「さすがにニートとは書けない」という言葉が物語る努力の賜物ですね。
オリンピック後もフェンシングに注目です!


五輪フェンシング 「逸材」強化、歴史変え…太田銀メダル

五輪フェンシング 「逸材」強化、歴史変え…太田銀メダル
決勝は力尽きて敗れた。「金メダルを狙っていたので、男として悔しい」。競技者の本能が、そう言わせたが「日本フェンシング界にとっては大きな一歩を踏み出せたと思う」と充実感も口にした。
 豊かなスピードと繊細な剣さばきを備え、「20年に一人」といわれる逸材。そんな22歳に、日本フェンシング界の70年有余の歳月を超えた夢が託された。
 フランス発祥のフェンシングが日本に伝わったのは1932年。五輪には52年ヘルシンキ大会から出場した。フェンシングは1896年のアテネ五輪で正式競技に採用された8競技の一つ。その中で唯一、日本がメダルを獲得していないのが協会の負い目だった。
 逸材を得た日本フェンシング協会は勝負に出た。スポンサー収入やテレビ放映権料がない“マイナー競技”は強化資金が慢性的に不足している。張西(はりにし)厚志専務理事らは自ら企業に頭を下げて約5000万円を集めた。
 それを有力選手に投入し、北京五輪に向けた「500日合宿」が始まったのは昨年。強化資金で東京都北区の国立スポーツ科学センターの近辺に太田ら7選手を住まわせ、週6回1日6~8時間の練習に集中させた。今春に同志社大を卒業した太田は就職をしていない。所属の「京都クラブ」はほとんど実体はなく「さすがにニートとは書けない」と記したものだ。太田も北京五輪に人生をかけた。
 小学校3年生で、選手だった父の教えで剣を握った。大学時代のドイツ留学で恵まれたスポーツの環境を目の当たりにして「歴史を変えたい」と思った。将来の夢は大学教授。スポーツの普及に力を注ぎたいと考えている。「周囲の期待がしんどいと思ったこともあったけど、最後はそれが力になった」。熱い思いで歴史を刻み、マイナー競技の心意気を見せた。

最高にうれしい! 

内柴選手 金メダルおめでとうございます!
今日は涼しくて過ごしやすいです。
昨夜も気持ちよく眠れました!
ちょー気持ちいい!
内柴正人選手の復活にはお子さんのひと言が復活を後押ししたと言われていますね。
家族っていいですね。
私も早く子供が欲しいです!


「仕事は柔道」…家族のために戦う“強い父” 柔道男子66キロ級金の内柴

再び栄光へ。決勝でダルベレ(フランス)に覆いかぶさった内柴は、上体に力を込めて縦四方に固める。敗戦を悟った相手が「参った」とタップ。4年前に続く金メダルを手にした32歳は「これが僕の仕事。(息子の前でおやじの仕事をしっかりやった)」と話し、スタンドに手を振った。
 「家族」というキーワードが、内柴を走らせてきた。少年時代、父に言われたのは「子供がいるから、オレは仕事をがんばれる。だから、お前は柔道をがんばれ」。自身も5年前に所帯を持ち、子供ができた。アテネ五輪金メダルの報奨金を元手に、都内に家も建てた。「柔道は仕事」。自分を頼る家族の存在が、強い職業意識に形を変える。
 アテネ五輪で頂点に立ち、2005年の世界選手権で2位。それなりに満たされたが、軽量級の悲しさで、周囲の評価は上がらない。「僕は自分のために戦えるほどの活力がない」。現役を続ける理由を一粒種の長男、輝(ひかる)君に求める。「パパはチャンピオンになるからね」。そう声を掛けて練習に出る。
 勝てない時期が長く続いた。時には金メダリストのブランドを損なう惨敗もあったが、試合のえり好みはしない。「アスリートとしては、最高の状態に仕上げて、勝てる試合に出ればいい。けど、僕は柔道で飯を食っている。試合に出てナンボです」
 妻のあかりさんは育児のかたわら、3年前から柔道整復師の専門学校に通う。夜、寝床に就こうとすると、家事を終えて勉強机に向かう妻の横顔が目に入る。「ただ柔道をやっているだけじゃ、だめだよな」。今まで何度もしおれかけた闘志が、また、かま首をもたげる。
 4歳の息子は近頃、「柔道、柔道」と口にする。今年、初めて柔道着を着せてみた。「でも、すぐに脱いでしまった」。自分の背中を追ってくれるかどうかは分からないが、引退後は私設の柔道場を開き、息子たちに有形無形の財産を残したい。妻が柔道整復師の資格を取れば、接骨医も併設して…。「家族のために僕は戦う」。そう言い続ける内柴の中に見るのは、今の日本から失われつつある強烈な父性だ。
 五輪連覇は、4人目の快挙。会場で見守る妻と息子の目に、「強い父」の姿を焼き付けた。

頑張れニッポン!

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